苦しまないで!辛い「育犬ノイローゼ」。私が行った気持ちの保ち方とその経過。

育犬ノイローゼ
ペットショップ時代の愛犬マンガ

やっと念願の犬を飼えることになり、「犬の飼い方・しつけ方」なるものを一通り勉強し、ヨシ準備は万端!楽しみでしかない…はずだったのに。

激しい性格、トイレ失敗、夜泣き、噛み癖、破壊行動…。想像以上の激しさに、気が付いたらノイローゼぎみ。

1年くらいは楽しいよりも、辛く大変なことの方が多かったかもしれません。明らかに「育犬ノイローゼ」というヤツでした。その経験と、どうやって現在の幸せにたどりつけたかの経過を、トイレ失敗談を例に出してお話したいと思います。

【※「しつけがうまくいかない」の悩みではなく、「しつけが入っているのにやってくれない」悩みについてです。】

結論だけ先に言えば、「犬に対して抱いていた理想を捨てる」「諦める」「プラス思考になれる意見をもらう」「(ちゃんとしつけを教えたうえで)信じて待つ」と、この辺りが大きかったです。以下、細かくお話ししていきたいと思います。

ひろ・サン

ちょっと長文です

目次

サンについて

サンの境遇

はじめに、うちの犬、サン(ゴールデンレトリーバーの♂)についてお話したいと思います。というのも、犬が飼い主に迎えられるまでに過ごしていた環境によっても、犬も性格や問題行動の背景が見えてくるのでは、と考えているからです。

生まれは岡山県です。そして兵庫県から新潟県のペットショップに移動後、4か月過ぎまでそこで過ごしていました。その後、北東北の私にネットで発見され、飛行機で到着です。

はじめてネットで写真と動画を見たときは、まだ2か月の小太りパピーだったのですが、実際会ったときは柴犬サイズで、見た目はちょっと痩せ気味の青年、といった感じでした。

ゴールデンレトリーバーで4か月以上というのは、言葉に出したくはないのですが、いわゆる売れ残りだと思います。

値段も「セール中」ということで、エ?!叩き売り?と思うくらい安かったです。(何か先天的に問題アリ?と心配したくらいです。そんなことはありませんでしたが)

サン

売れ残りってなに

ひろ

…!!

そんなサンの背景を悪く想像しているからかもしれませんが、来てから半年くらいまでのサンは、彼のパピー時代の動画・写真に比べて、天真爛漫な無邪気さ・可愛さよりも気が強いのが目立つ、陰陽でいえばちょい陰質かな、と思わせる子でした。

「今まで辛い思いしてきた?よく頑張ったね」とサンに言ってあげれれば、なんて思うのです。

サンの性格

愛犬の性格あれこれ

ゴールデンレトリーバーってどんなイメージがありますでしょう?私の知識としては、「知性高く」「温和で穏やか」「社交的で」「忍耐強く」「はじめての犬にぴったりなファミリー犬」なるものでした。

実際家に迎えた当初は、サンも私もお互い緊張していましたので、自分を出せていなかったのですが、日にちが経ってみると…、まあサンの本性が続々と。

知性…確かにこれは高い、間違いなく。忍耐…これも確かに。もちろん、無邪気で可愛いところもあるのですが、それ以上に「けっこう狂暴」「激しい」「オレオレ(権勢本能)が強い」「他の犬嫌い」「興奮しやすい」「警戒心が強く神経質」といったイメージが強かったです。

まあ、しつける前の子犬ってある程度そんなもんなんだろうな、と今では理解できるのですが、でもそれにしても…?と素人でも思うほどでした。これには、結構ショックを受けたものでした。

他の犬と比べて、サンがどうなのか明確なところは不明ですが、知り合いのゴールデンを飼っている方と比べて分析すると、やはり権勢本能(自分の位置を優位に置きたがる)の強い性格であったかな思います。

でも、6年経った今では、大分穏やかになりましたよ!「ビビり」「興奮しやすい」くらいはありますが、可愛いものです。

ひろ

当時の写真、ヤブにらみの表情多くないか

サン

ましゃか

私の性格と育犬環境について

私の性格

私の性格についても少し述べたいと思います。これは、「飼い主の性格が犬の性格に反映される説」を苦い思いとともに、そうだろうよなあ、と少なからず感じるからです。

一番の「短所」は短気です。小心者で神経質な部分も。超ズボラ。

数少ない「長所」は大体においては、明るい、おおらか。

こうして改めて自己分析してみると、サンとちょっと似てないか(冷や汗)?と思うのです。犬にとって、ずーと一緒に過ごす人間のベストは、「穏やか、精神常に安定し、頼りがいある性格」だとはわかっているのですが…。

ひろ

サンくぅん~

サン

違う

私の育犬環境について

私の育犬環境による重圧

私は自営で、母とサンと三人暮らし。自宅=仕事場ですし、子供もいないので、サンとの生活は有難いことに結構密です。

自宅から車で10分くらいのところに姉が住んでいて、犬を飼うことに協力・応援してくれる有難い存在です。

母は小柄で全く体力なし。特に動物に興味がなく、大型犬を飼うことに大反対。(でも幼少時にスピッツを飼っていました。名前は「メリー」。時代感じるぅ笑。)

そこを何とか「ちゃんとお母ちゃまに迷惑かけないような犬に育てあげます」との約束のもと、OKを頂いた背景があります。ですから、しつけはもちろん、全ての世話は私の役目。

サンは骨格が割と大きめのゴールデンなので、全盛期は40㎏弱。母と大して変わらん体重の犬によって、「母が怪我するようなことは絶対にあってはならない」と大きなプレッシャーがありました。

今だから母にも言えますが、はじめてサンとご対面したときに、4か月のゴールデンって、こんなにデカいものか!と結構ビビっていました。

ペットショップの方に抱っこされて登場なのかな~なんて思っていたら、柴犬よりもデカい犬が、普通にリードでつながれて登場!だったのですから…。しかもいきなり、のしかかってきてマウンティング!

(その日の母は後悔と不安で寝れなかったに違いありません。ははは。)

でももちろん母の前では不安がっているところは見せられない。「わ~元気で可愛いねぇ~」なんて心にもないことを…言ったもんかどうなのかもビビッて記憶になし。とにかく、そのご対面の日から、私とサンとの戦いが始まったのです。

ひろ

こんなにサンが穏やかになってくれるとはなぁ

サン

うーんむにゃむにゃい

私の気持ちの経過

悩んだ問題

散歩中ケンカする飼い主と愛犬

まず、サンのしつけで悩まされたことは、第一がトイレの失敗、第二が散歩時の反抗と夜泣き、第三に噛み癖、第四に破壊行動、あとはちょこちょこ。

まず、トイレに関しては本当精神が参りました。私はネコを二度飼ったことがあるのですが、ネコってトイレを一度覚えたらまず失敗しませんよね。

犬もネコ同等に頭がいい動物、ですから一度覚えてくれされすれば、後はトントンだろうと思っていたのです。しかし、それはネコとは全く別物。

ちょっと目を離したら、10秒一人にしたら、帰宅時なんてもちろん当たり前に、フローリングにおしっこ、うんち、必ずあり。酷い時は20畳の三分の1ほどにおしっこの海が広がり、うんちも二か所。人間並みの量ですから掃除も大変。

外出時はすぐ掃除できないので、フローリングは腐食。トイレの場所は割とすんなり覚えたはずなのにどうして…。

はじめはしょうがない、子犬はこれくらいで当たり前、と言い聞かせていました。しかし、帰宅して階段に差し掛かる状態でもう排泄物の臭いが(犬の部屋は二階)。

犬はハイパーなので、排泄物をつけながら私に飛びついてくれる。掃除を終えて、私がトイレに行ったらまた床に排泄物。もうこのあたりから私の精神状態もきつくなっていました。 

小型犬って、反抗期が4か月くらいから、大型犬は9か月あたりから、と言われます。が、サンの場合は4か月過ぎで迎えた当初から反抗期といった感じでした。

決して甘やかしはしなかったつもりですが、とにかくオレオレが強い犬で、しつけを覚えるのは楽しいのか真面目にトレーニングもするのですが、自分の意に沿わないところはすぐ噛みついてきたりとびかかってきたりしました。

特に外では酷かったです。例えば、大好きな公園から帰ろうとすると、いきなり二本足で飛び掛かってきて噛みついてくる、というのに半年近くは戦っていました。

それから、夜泣き・破壊行動など、大変だったところをあげればキリがないのですが、とにかくトイレと散歩時の反抗は結構きつかったです。

私の気持ちの経過

育犬ノイローゼ最中の私の気持ちの変化

トイレの問題を例にとって考えてみます。

はじめの感情は、私が犬に関して刷り込んでいた勝手な理想、と無知による「頭のいい犬がトイレを失敗するわけがない」という思いと違った行動をしたサンへの「不審」でした。

「ショック」「私の教え方が間違ったのか」「サンの頭が悪いのではないか」「サンの性格がひねくれているのでは」といった気持ちです。気持ちをどこにおさめればいいか、またどういった行動をすればいいのか、オロオロしていました。

次に、サンに対するやつあたりとも言えるような「怒り」です。「私はちゃんと教えている」「犬ならばできるはず」「それにゴールデンだし」「わざとやってくれないのかも」「私に反抗している」という感情が暗雲のようにむくむくとでてきて、抑えられなくなりました。

サンに対しても冷たくあたることを我慢できず、正直に申しますと、二度、手をあげてしまったこともあります。床の排泄物を掃除しているときにサンがおしっこをつけながら飛びついてきたとき、急に猛烈な怒りが湧き上がってきたと同時に思いっきりビンタしていました。

その時のサンの驚きとショックの顔…それを激しく後悔してからも、怒りを抑えきれず、ものを蹴飛ばしたり、罵詈雑言を叫んだり、とかなり状態は酷かったです。そのころの私は悪魔のように見えていたに違いありません。サンも私が怒り始めるとおびえてハウスに逃げ込むこともありました。

サンの前で怒りを爆発させてしまう日々が続くと、「悲しみと恐怖」の感情も加わってきました。この時期が一番辛かったです。でも、サンの前で怒りを爆発させたことは後悔しても、サンに対する非難の気持ちを改めることはしませんでした。

「どうしてこんな思いにさせるの」「お前がちゃんとしてくれたらお互いにこの苦しみから抜け出せるのに」「サンのせいで私の性格がどんどん悪くなっていく」、というように…。

サンが無邪気に近寄って来ればくるほど、申し訳ない気持ちと、やはり可愛いからギュッとしたい、でも怒りの感情が邪魔してできないといった感情が混ざり合い、疲れて泣きながら掃除、というパターンをよく踏んでいました。

ひろ

私も悪魔だったけど、お前も小悪魔だったよなぁ

サン

そんなことゆう

サンが帰宅の私を喜んで迎えてくれても、顔を見たらまた更にイライラしてしまうかもと思い、顔を合わせませんでした。

コミュニケーションも一通り掃除が終わり、私も気持ちが落ち着くのを待ってから。そのあたりのことは無意識に記憶から末梢したのか、あまり覚えていません。

「恐怖」の感情というのは、「自分の性格はこんなに悪質だったのか」という自分に対する恐怖です。小さい頃から動物好きで、虫からヒルからあんなに可愛がっていた自分が、死なせてしまったこともあるけれど、自ら手をあげてしまうなんて…

私は犯罪者にもなりうる人間なのかもしれない、自分に子供がいたら恐ろしい虐待をしてしまう人間なのかもしれない、など。

今の私という存在は社会的にも危険な人物なんだ、と、そんなことを客観的に攻めてくる自分がいて、どんどん自分が得体のしれない悪魔のような存在に思えてくる…とても怖かったです。

母に対してもあたっていました。あんなに「迷惑をかけない。頑張る」と言っていたのに。そんな自分にもイラつく。もう最悪な状態でした。

しかし、有難いことに、怒りが更にエスカレートするよりも精神的疲労が限界にきていました。それが良かったともいえます。そこから様々なことがあって、(下記の項で述べます)そこで新たに生まれた感情は、「気づき」です。

「犬に対する私の理想を持つこと自体、根本的に間違っていた」「サンはまだ私を慕ってくれている」「まだ間に合う」「人間の私だって幼児の頃はどうだった?」「元々犬は外で排泄するもの」「サンも人間の生活に合わせようと頑張っている」など。

いかに今までの自分がサンに対して利己的だったか、少し冷静にみれるようになりました。

犬に対する勝手な理想

といって、すぐに私も100%態度を改めたか、と聞かれれば、そんなこともできず、自分の中で正と邪の戦いの連続でした。全くサンを怒らなくなったかと言えば、やはり一言口に出してしまうし、態度にも怒りが出てしまう。

でもそれまでよりは徐々に改善していきました。私にとって一番大きかった気持ちの変化は、「はじめに持っていた、犬に対して押し付けていた理想を捨てた」ということです。そのことに気づいてから、少しずつ状況が変化していきました。

最後は「諦めとサンを信じて待つ」の感情に落ち着きました。それまでは、「今日は大丈夫かもしれない」という期待で帰宅していました。それも、「どーせ今日もやっているだろう」と思うことで、ショック→怒りの増大という最悪な状態はまず緩和されました。

そしてシュミレーション。まず興奮するサンを軽くなだめて、床におしっこがあったらこういう手順で、最悪うんちがあったら…と考えておくとこで、怒る時間なくサッと掃除に入れました。

そして、何よりサン。日も経ってくれば、毎回失敗するわけではありません。奇跡的にも帰宅後トイレにおしっこの形跡が!たとえ床にもあったとしても、いいことだけ、進歩だけ喜ぶように。

そしてサンのかわゆさ。来た当初からちょいひねくれていたサン君も私という存在を生活圏に入れ始めている。怒っても甘えてくれる。初めとほっんの1ミリでも違うんなら、私もサンを信じてみよう。サンも怒った私を受け入れてくれてんだから。

サンもよく辛抱強く待っていてくれました。色々助けになってくれた方やメディアもありますが、サンには一番感謝です。

しかし、あの手をあげてしまった時、ものを蹴飛ばしていた時、それがどんどんエスカレートしていたら…と思うと本当に怖いです。思い出したくもありません。虐待や犯罪というものは、実は正気と紙一重なのか…それとも…ああ、恐ろしい。

今でこそ、たまに何かあると、トイレのはみ出しくらいはします。その時に私が機嫌が悪いと、「お前~!」と怒ってしまう時があるのですが、昔の悪魔をフッと思い出して怖くなります。

サンが「何かしたかね」くらいの態度でいてくれるのをみて、ホッと胸をなでおろします。危ない危ない。短気、絶対いいことないですよね。

サン

結構辛いことも

ひろ

ごめんね…私も青かった

私が行った対処法

以下に述べることは、自ら“こうした対処をしてみよう”と思いついてしたことではありません。ただ、後から思い出してみれば、下記のような出来事が私の心を徐々に自然解凍させてくれたんだなあ、と改めて感じた事柄でした。

100%コレが効く!というものをお伝えできればいいのですが…なかなか奥が深い問題。一つでも参考になれば幸いです。

育児の大先輩に聞いてもらう

母に育犬相談する飼い主

これは、「犬の飼育経験者でなくていい」のです。同じ種類の犬を飼い、同じ経験をした方がいればそれに勝る人はいないとは思いますが、私の場合は母でした。

母は動物には興味はないものの、人間の子供を3人育て上げた、立派な育児の大先輩。ぜひとも、お母さまに愚痴を聞いて頂ければ、と思います。

母いわく:「ひろ(私)をみてると、育犬もほっんとに大変だと思うよ。サンをみてると、人間の子と似たようなもんだよ」

私:「いや~そんな…恐れ多いよ。人間の方が全然大変でしょう。私は犬くらいでつまづいているんだから、絶対人間の子なんて育てられないと思う」

母:「そりゃ人間は大変には違いないけれど、犬って言葉が通じないでしょう。で、人間と違う種族でしょう。それを同じ生活パターンに入れて育て上げるわけだから、やはり簡単ではないと思うよ」

といった会話をして、少し心が温められたものでした。

ああ、やはり母って偉大です。(なのに八つ当たりしてごめんちゃい。)サンの夜泣き問題に一時期寝ないで対処したものですが、これも、もちろん3人の子供を育てた母も経験済み、聞けば私より全然大変。ご近所を気にして、寒空の中公園で抱っこして毎夜過ごしたとか何とか…。

人間と犬は全く違うとはいえ、母にサンのことを色々相談してみれば、意外に全てわかってくれるものなのです、これが。

母の偉大さを改めて認識し、悩んでた自分がチッポケに思えます。これが案外気が楽になるものだったりします。

(可能ならば)一時的にでも境遇を共有してもらえる人を見つける

私には育犬に協力的な姉がいて、トイレや散歩のしつけが大変だった時に、代わって世話しに来てくれたことが何度もあります。

ちょっとでもサンから離れていられること、でもそれ以上に、私の境遇を詳細にわかってもらえること、同じ感情を抱いてもらえること。これが本当に有難かったです。

「本当にサン、ヤバいね」「でしょう?おねにもかみついてきた?」「かなり戦ったよぉ。外だから、みんな注目だよ。でも恥ずかしいどころじゃないよね」なんて。そーなの!わかってくれる?私の毎日を!

実際に体験してくれる人がいれば、愚痴も気合い入ること。癒されること。耐えきれないときは、おねに電話し、サンの悪口を言いまくる。(サンのいないところでね)

「あーわかるよ。私にもそうだったもん。…うんうん、そりゃそうなるって、ひろはよく頑張ってるよ」なんて。ひとしきり愚痴と悪口を聞いてもらえると、さて、一日くらいは気持ちも安定して愛犬を向き合える・・・かも?

ひろ

今は我慢…後でおねに電話だぁ

そんな人がいてくれればとてもいいのですが…もしいない場合は下記を見てみましょう。

同じ境遇に陥っている人を見つける

愛犬のしつけに苦労している人のブログを見て癒される飼い主

周りにいない場合は、これはひたすらネット検索。一日かじりつきましょう。「〇〇のトイレしつけ奮闘記」なるブログを見つけようものなら、世の中には同じ境遇の人がいて、自分と同じように毎日同じ思いをしているんだ、ということがわかると気持ちが楽になるもの。

あれ、このわんちゃんより、うちのサンの方がまだマシかもしれない、しかもこのわんちゃん最終的には落ち着いたのね、なんて希望が持てるような記事を見つけられると最高。

でもこれは多分みなさんやっていますよね。ベタな方法ですが、結構私は癒されました。

自分よりぶっとんだ育犬(他)をしている人から学ぶ

前項と似ているのですが、世の中には犬どころではない、ものすごい動物を飼っていらっしゃる方がいるものです。

あえて自らワニやらピューマやらを飼っている(日本でなくね)人はちょっとまた違うのではと思うのですが、育児放棄されて瀕死寸前のオオカミやら巨鳥やらを育てている人。

いくら動物愛護とはいっても野生動物を飼うのはどうなのか、ま、それは置いといて。でもその子のために都会での仕事辞めて田舎へ引っ越し、野生動物ですからトイレは家中、そこら中にジャージャー状態、かかるお金も相当、下手すりゃ怪我すら厭わない、でも、可愛くて、一生をこの子に捧げる♡…らしい。こんな方も世の中にはいらっしゃるのだなあ…と。

それに比べたらサンはどお?噛みついてるといっても指が飛んでくほどではないし、トイレ掃除だって一部屋のみじゃないか。それだって苦しいの時期は今だけ(のハズ)!

その時から、帰宅する10分前から「コンドルコンドル、オオカミオオカミ、(よりはマシ♪)私よりもっと頑張っている人がいる」とイメトレしながら部屋にいくようにしました。

デカめの野生動物の排泄を想像しながらドアを開ける…「あら?こんなもんですか?」なんて、ちょっと気持ちが気軽になることもありますよ。

昔風の育犬をしている人に癒される

これは、私がサンに手をあげてしまってかなり悩んでいた時のこと。ご近所に犬好きの、代々日本犬を飼っている年配のご夫婦がいらっしゃるのです。わんちゃんを溺愛し、散歩はパパときっちり2時間近くも。

あらゆるしつけも完璧。うちのサン君より、見るからにお利口で社交的。そんなご夫婦は私の憧れの存在。

そんなママに、「サンのしつけがうまくいかなくて…」と相談してみたところ、「な~に、うちは言うこと聞かないとコレよ(手でグー。しかも、指立ってる!)」「あ…そうなんですか」「やっぱり初めは言うこと聞かないものお~あんまり聞かなければ頭とお尻コレだもの(再度手でグー)」「…(何となくホッ)」

ご近所のママ、犬のプロフェッショナル

これ、今では「褒めてしつけるのが正しい」「叱ったり手をあげたりしてしつけるのは論外」「というか、しつけやトレーニングという言葉自体おかしい」というのが現代の犬の育て方ですよね。

私がサンの飼うにあたって、集めた中古本の中に、(昭和出版)しつけの項に「鞭」を使うという部分があって、びっくりしました。現代ではさすがにジョーク?と思ってしまいますよね。

ですから、現代においては、パパママの育て方は批判をくらってしまうものなのかもわかりませんが、そこのわんちゃんはちゃんと愛情を受けて、立派に育ち、お互いの信頼関係がよく見て取れるのも事実。

そして、手をあげてしまった私が、ママの発言によって肩の荷を少し下ろせたのも事実。

これは別に、パパママと違って、育犬素人の私が自分をおさえきれずに行った行動を正当化しようというのではありません。もちろん、手を出して教えるもの一つと方法と言いたいのではありませんよ。

ただ、世の中には色んな育て方で犬をちゃんと幸せにしている方がいるのは事実、ということ。

あなたが非常に後悔して落ち込んでいる時、ネットの犬相談によく書かれている答え「犬に手を出すなんて信じられない」「犬が可哀そう」なんて回答を見て更に深みにはまるよりも、大先輩に「な~に、そんなことくらいでいちいち落ち込んでるの」とケラケラ笑ってもらえる方が、心が軽くなるではありませんか。

実際、私も気持ちが軽くなるという点では一番効果がありました。その上で、気持ちを切り替え、「手はもう絶対に出さない」と持ち直せばいいのです。

もし私と同じように悩んでいる方がいれば、ちょっとご年配の先輩に相談してみたらいかがでしょうか。もちろん“それ風の”方をリサーチすることですよ!

可愛いチワワちゃんなどを更に可愛らしく贅沢にお姫様にして「〇〇ちゃん~」とチュッチュッ溺愛されている方なんて、多分無理ですよ。

愛犬の境遇や背景を考える

もう、自分の気持ちをリセットするためには、色々なこと考えてみましょう。どれがヒットするかわかりませんからね。私の場合は、上項で挙げた「サンの境遇」について考えてみました。

犬は成長が早いので、犬にとっての一日は、人間にとっての3日間の感覚といわれます。であれば、サンが売れずにペットショップにいた期間は約二ヵ月=半年間。その間、トイレ環境も決してベストとはいえず、人目にさらされ、色んな臭いがつき、隣にはよく騒ぐわんちゃんがいたかもしれません。

「お前だけ全然売れんなあ」なんて、言葉も理解していたかもしれません。ペットショップって散歩環境はどうなっているのでしょう?ブリーダーさんのところで幸せに暮らしていた幼犬時代を思い出したかもしれません。

自分はこのまま一生ここで過ごすのか…なんて思ったりするもんなのか犬は。それはわかりませんが。

そして、そんな辛い思いをしてきた背景があるから、ちょっと素直さが失われたかもしれない。人間に対してに完全に心を開けていない状態なのかも。だから問題行動も激しいのかもしれない。

また、やっとペットショップから出られたのに、安住できると思ったのに、飼い主はいつも怒っている。この人とずっと一生暮らしていくのかな。そんなサンの気持ち。

こんなことを考えると、サンを幸せにしたい、もうちょっと頑張ってみよう、という気持ちが沸き起こってきました。まあ、そんなことは十分にわかっていることですけれどね。

頭の中は常に正と邪の戦いですよね。とにかく、正に向かえることは何でも考え、満たしていきましょう。

諦める

抱えているストレスが自分自身が問題であることならいざしらず、対相手がいる問題であれば、「諦めるが勝ち」「相手は変わらないから、自分が変わるしかない」ということがありますよね。

対愛犬でも、私は同じでした。早く、諦めていればもっと楽でいられました。しかし、決してマイナスな意味で「諦めましょう」と言っているのではないのです。

対他人であれば、あなたに興味関心がなく、もしかしたら敵対心もあるかもしれません。でも、あなたの愛犬は違います。

もしかしたらまだ迎えて日が浅く、あなたに完全に心を開いていないかもしれません。でも、愛情は少しずつ、感じているはずです。

人間サイドが犬に望んでいる生活パターンがまだわかってないということもあるでしょう。わかりはじめてはいるが、そこはやはり動物。

性格や今までの背景もあって、自分がよりわがままを言えそうな状況を獲得するため、奮闘していることでしょう。

いまだ「お互いにうまくどう折り合いをつけるか」の状況の中、犬サイドだけが本来の自然の生活パターン(例えば、排泄は外でしたいときにするもの、など)を変えるよう強いられているのです。

私はわかっていた気がしながら、実際は怒りが先に立って全然わかろうとしていませんでした。

サン

うーん、わがままは楽だしひろには好かれたいし

以上のようなことをじっくり考えてみたら、「そうか、すぐなんてできるわけないよなあ(てか、ネコって逆に柔軟すぎんか)」を認識し、「すぐできるようになって欲しい」をまず、諦めるようになりました。

帰宅時も、「ハイハイ、どーせやってますよね」と、排泄掃除をまるで自分の食事や風呂などのように、必須ルーティンの中に組みこんでみました。

また、こうも考えてみました。「ってゆうか、サンが床に排泄したところで私は何に対して不快なんだっけ?」「掃除?ただちょっとめんどいだけ」「臭い?スプレーと窓開けで何とかなるやん」「フローリングがおしっこで腐食?これは嫌だ。でもお金持ちになったら、腐食したところだけ新しくすればいい(実際費用などを調べてみた。意外に安い…かも)」

一生、床が排泄まみれなことを諦めるのではなく、「今、すぐ、なるべく早く」という犬に対する要求を諦めるということです。

愛犬の自分への愛を確認し、信じて待つ

愛犬を抱きしめる飼い主

あなたの愛犬は今どんな状況でしょうか?一ヵ月間の間、毎日必ず失敗していますか?たった一回でもトイレに成功していたということはないでしょうか?または、10秒目を離したらすぐもらしていたものが、20秒に伸びてはいないでしょうか?

一週間、一ヵ月単位でみれば、たった少しでも成長がみられませんか。

ほんの少しでも改善している点があれば、全然希望はありますよ。本当です。サンに関しても、私が怒っているときは状況が全然見えていませんでしたが、落ち着いて考えてみた時、少しずつ、すこ~しずつ、改善がみられていました。

床におしっことうんち→床におしっことトイレに排泄(でもはみ出し)→床におしっことトイレに排泄(はみ出しなし)…という風に。もちろん波がありまくりでした。

今日できたのに、次の日は逆戻りなんて当たり前。でも、少しでも、少しでも。今ではもちろん、床に全くしません。床にしていた酷い状況は、数か月だったと思います。(はみ出しなどは継続)

一回落ち着いて、またなんやかや、第二次反抗期が終わるまでは数回やっていましたね。

でも、悪魔的に長く感じますよね、その期間…!愛犬を信じて待ってあげて下さい。あなたに対して愛情のシグナルがみられているのなら、飼い主が望むことを犬は頑張ろうとします。怒られたくないし、犬自身も床にしたくはないはず。

サンが大人になった今でこそわかるのですが、トイレに慣れれば、「もれるう~!トイレェ~!!」のヤバい状況でも、絶対トイレに向かいます。吐くときも、「外〉 庭〉 (せめて)玄関〉 いやいや家」という感じです。

排泄に関してはこれほど人間と同じ感覚をもった、清潔な動物ですから、床にしているというのは、犬にとっても異常な行動です。

では、なぜするのよ?「まだ、人工的なトイレに慣れていないから」「まだ人間の望む生活パターンに順応できないから」「まだ、飼い主の要求に答えてあげるほどの信頼関係がないから」このあたりではないでしょうか。

多分、今の超余裕な飼い主モードで考えると…「おしっこもれるぅ→トイレどこだっけ?どうやるんだっけ(興奮)→あ、やっちまったい」になっているのが一番なのかなあ。(改めてネコ氏の冷静さよ)

ひろ

サンは興奮すれば、いまだはみ出します(大したことないですよ)

今でもサンがトイレに行くたびに、本当に有難いなあ、と思います。だって、散歩でおしっこしている伸び伸び自由な状況を思い出してみてください。家のトイレはどうでしょう。

狭いところでまず何度もグルグル回らなきゃいけないし、肉球にあたる感触も固くていやだし、はみ出さないようデカい身体を折り曲げてピンポインツで…!どんだけ窮屈な格好!

ああ、ありがとう。…とこんなことも改めて感謝できるようになりますよ。きっと。

今悩んでいる方にお伝えしたいこと(まとめ)

今回はトイレ失敗を例に出してお話させていただきました。現在同じように悩まれている方にどうしてもお伝えしたいこと。大部分において、大丈夫!きっと、時間が解決してくれます。

今、あなたと同じ様に愛犬も悩みの真っ最中。でもあなたに好かれたいのは絶対。それをどのようにしていいのかわかっていないだけ。または、今愛情を感じ始めてはいるけれど、人間の生活パターンにまだ100%慣れず、抵抗もある。

性格や犬種による本能もあるでしょう。もうちょっと、待ってみてください。

と、いってもここが肝心。ちゃんと「あなたのして欲しいこと」が伝わっているでしょうか?トイレでいえば、「排泄はトイレで」のしつけを教えられたでしょうか。トレーニングの段階でトイレでの排泄を成功していて、しっかり褒められた経験がある。

そしてあなたがそばにいる時は、ある程度成功するのであれば、冷静な頭ではちゃんとわかっていてできない・しないだけなので時間の問題と思いますが、そもそもやり方がわからないといういうのであれば、改めて教える必要があると思います。

また、甘やかしてはいないでしょうか?「叱るしつけはタブー」「犬が家族に順位をつけるというのは間違い」とされる現代、はっきり言って何が・どこまでが理想のトレーニングなのかわかりませんが、私が長年サンをみてきての見解は、「果たしてそう100%言えるのか?

それはわからないでしょう。忘れていませんか。人間と犬は違う種族ですよ。逆に犬に失礼では?自然のものを人間サイドに無理に合わせるんだから、犬がストレス抱えるのは当たり前でしょう。」ということです。

やはり、人間と一緒に住むのであれば、「優しく、怒らず、他の家族同等に」というのはプロでもなければ、はっきり言ってかなり難しいことです。

やはりある程度きつく言わなければ調子にのります。マウンティングしてきますし、言うことも聞きません。自分ならいいが、家族・他人に万が一があったら?

個体差もあります。穏やかな小型犬であればいいのでしょうけれど、ある程度ひねくれた、激しい性格の大型犬では、「優しく愛情を持って」のスタンスだけでは素人は難しいです。だったらすぐトレーナーさんに預ける?

自信が全くなかったり、状況が酷ければもちろんそれも良策でしょう。でも、もうちょっと頑張って自分で育てあげたい、成長をそばで応援してあげたいという気持ちで一生懸命行うならば、100%完璧なしつけを求められるべきでしょうか?

手をあげてしまって非常に落ち込んでいる方。本っ当~に!わかります。わかりますよ!今すぐそばにいって慰めてあげたい。自分が怖くなるし、犬に対しても申し訳ないし、犬からも嫌われたくない。

犬は可愛いのに、怒りの感情もおさえきれない悪循環。どんどんエスカレートしたらどうしよう。非難されるのが怖いからうっかり人に相談もできない。

でも、大丈夫です。そんな怒りの気持ちが湧き上がるのは、絶対にあなただけではないです。まず、あなたの母親に相談してみてください。「自分の子供が可愛くないと思ったこと、ある?育児が辛かったこと、ある?」と。

万が一手をあげてしまっても、まだ犬があなたの帰宅を喜んでくれるのなら、ご飯や散歩を要求してくれるんなら、ジーとまんまるお目目で見つめてくれるんなら、まだ、全然引き返せます。

私も一度手をあげてしまって後悔してから、すぐ犬の前で怒りをおさえられたわけではありません。二度やってしまったし、物にあたったり叫んだりして、かなりサンに可哀そうなことをしてしまいました。ある人からみれば、間違いなく「犬を飼う資格のない人間」でしょう。

でも今、私とサンは100%幸せです。(まあ、サンに関しては一応96%の可能性としときます)そんなのわからんじゃん、なんて意見は無視でいいです。じゃあ、そう言われる方にはわかるのか。

批判を下さる方、ごもっとも。でもあなたも全く同じ経験者なのよね、もちろん?別の飼い主に飼われていたら、サンはもっと幸せだった?そうかも。

でもそうならなかった、これは愛し合うものの運命よ。自分を改善しようとし、もう犬を苦しませまい、ともがいているのに、モチベーションの下がるような意見に触れるメリットは何一つありません。

サン

幸せってなに

ひろ

…ああ、これが幸せよ!

もっとプラス思考に向かわせてくれる方の意見だけ、参考にしましょう。それが愛犬のためでもあります。

なるべく、早く落ち込んでいる気持ちを切り替えて、湧き上がってくる怒りをできる限り犬の前で出さない努力を…自分が壊れない程度にね。何とか、何とか頑張ってみましょう。

(もう壊れかけている精神・行動はまた別の話ですよ。客観的に見てくれる信頼できる人・機関に即相談)

私は排泄床を見てから怒りが到達する前に、ダっと自分の部屋に駆け込み、「王様の耳はロバの耳=罵詈雑言」をやっていました。パンチングボールもいいですね。犬の前ではなるべく、できる限り、おさえて。そして、少しでも余裕があるときは愛情、愛情の嵐。

でもストレスや落ち込みの常策、「誰かに相談する」を忘れないでください。「一人で悩まないで」これ、やはり鉄則。別に犬を飼っている人でなくても、信頼できる人であればいいんですよ。

ネットで同じ境遇の方を検索するだけでも、少し癒されます。そこから気持ちが切り替われるターン期を迎えれることもあります。

どうか、早く今の状況から脱出できますように。でも過ぎ去ってみれば…やはり懐かしく思えてくるのものですが…絶対戻りたくはない!やはり相当辛かったのですね。

とにかく、頑張りすぎず、気分転換して、愚痴って、余裕があるとき犬をにゅんにゅんして、時が過ぎ去るのちょっと待ってみるか、という気持ちになれれば大きな第一歩です。

サン

やっとここまで成長できましたよん

ひろ

愛犬を信じて、待ってあげてね

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